祭り(1) 



 解放軍が帝国軍から奪取したロスアンヘルスは、ちょうど祭りの時期だった。
 あまり裕福とは言えない近くの町の人々が集い、そのときばかりは都市部の人口が一気にふくれあがる。貿易都市ゆえに、帝国の支配下におかれていても比較的栄え続けていたようだ。力がある地方都市は、先の大戦以降はどんどん勢いを失っていたけれど、こういった地域のよりどころになる催しがある都市はやはりそれなりに強い。たまたま反乱軍がバルパライソを奪回してデネブを改心させ、その報告をしつつ各拠点を回っている時に祭りが始まったようだ。
 ウォーレンはたまにはそういうものもいいだろう、と肯定的で、反乱軍はロスアンヘルスに滞在することになった。今後、もっと軍が大きくなればそういうことも出来なくなるだろうし、今の反乱軍は資金が足りず、そうそう特別な給金を出すことも出来ない。福利厚生という意味ではそこに用意されたものを利用するのが一番手っ取り早いというわけだ。
 都市の代表者との謁見で、反乱軍は宿を提供してもらうことになった。デネブを改心させたことへの謝礼のようなものだ。とはいえ、祭りに来た人々であふれている宿屋ではない。都市代表者の祖先が暮らしていたという、昔はすばらしい屋敷だったのだと思われる、今はいささかおんぼろの別棟を提供された。
「明日の午前中には出発するから、各自あまりうかれすぎないようにな」
 ソニアは、祭りへと出かける兵士達を笑顔で見送る。
 帝国軍を追い出したとは言え、何があるかわからない。兵士たち全員が一斉に休めるわけもなく、数人一組で複数のグループがローテーションを組んで都市周辺を見張っておく必要がある。
 申し訳ないとは思いながら、魔獣たちをあやつるビーストテイマーや、そもそも祭りなんてものに無関心であろうゴースト、ジャイアントを含む部隊にそれをまかせることにした。
 ウォーレンは相変わらず早寝早起きで早朝のローテーションに加わる、といって早々に与えられた部屋に引きこもった。
「じゃあ、行ってきます」
 ソニアの部隊に以前からいるビクターやヘンドリクセンも、彼らにしては少し珍しいちょっと浮き足だった声でソニアに頭を下げる。
「うん。気をつけて。楽しんできて」
「おい、ソニア、お前はどうすんだよ」
「あたし?もうちょっと仕事が残ってるから。あとでいくよ」
「そっか。あんまりガリガリ仕事ばっかりやってるとバカになるぞ」
 そんなことを言うのはカノープスだ。すっかり2人は打ち解けて気安く言葉を交わす仲になっている。
 実のところ、カノープスももともと細かいことにこだわらない男だったし、ソニア自身はその最たるもので、やるべきことだけをやる、を心情にしているため、お互いがわずらわしくないのだろう。
 ソニアは、兵士達を見送ってから一通り見張り兵士にも声をかけ、都市の代表者から差し入れされた硬いパンのようなものをつまもうと、食堂らしいところにひょっこりと現れた。
 ここ最近使っていなかった屋敷らしいから何もない。彼らが来た時に差し入れてもらった食料が薄汚いテーブルに乗っているだけだ。
「ちょっともらおっかな……」
 手近にみつけたものは、保存食になりそうな乾パンだ。ぼそぼそして味も素っ気ないし、保存食はこんな時に食べるためのものではない。それでも、ソニアは「近くにあるから」という適当な理由でそれに手を伸ばした。すると
「こらっ!それは今食べては駄目だ!」
「うわっ!!」
 背後から聞きなれた怒声。おそるおそると振り返ると、いつもどおりの男がそこに立っていた。
「みつかっちゃった」
「ソニア殿……お腹がそんなに減っているなら、せめて他のものを」
「う、うん」
 後ろから現れたランスロットが呆れ顔で眉をちょっと寄せる。
「ランスロットは祭りに行かないのか。みんな行ったぞ?それとも、見張りの番か?」
「……いや、見張りは今終わったばかりで。ちょっとぐらいは見てこようかと思っているのだが……つまみぐいなどここでしなくても、祭りでもうちょっとまとも食べ物を売っているはずなのに」
 ふう、とランスロットは苦笑いをうかべつつため息をついた。ソニアは全然悪びれた様子がない。
「祭りいかないし」
「何か残作業が?」
「ううん……いやあ、あんまり、よく、わからなくって。祭りって」
「?」
「あたしは、祭りなんてものに行ったことがなくてさ。なんか、みんな楽しそうだ。そういうものなんだろうけど。自分は行けないと思ってたし」
 けろっとソニアは言った。
 あまり彼女の出自に関して深く聞くことはランスロットもなかったけれど、その物言いは心にひっかかる。
「祭りにいったことがない……?」
「そうそう。あたしが育った村はさ、隣町で祭りがあるくらいだったし、それに……弟とか妹とかいたから、小さすぎると連れていけなくて、誰かが面倒見なきゃいけないし、弟達が行けるようになったら今度はもっとちっちゃいのが生まれたりで、行ってる暇なかったなあ」
 ランスロットはぴくりと眉を動かした。ソニアの口から兄弟の話を聞いたのは初めてだったが、既にウォーレンから情報は得ていた。迂闊なことを言わぬようにと少し気を張り詰める。家族のようなものは既にソニアにはいないと聞いていたからだ。
「だから、今日だってみんなが楽しんでくればいい。あたしは、苦手だなぁ」
「……行ったこともないのに、苦手だなんて決め付けることはない」
「ランスロットはあるのか」
「……ああ、子供の頃。ゼノビア宮前で大きな祭りを毎年やっていたしな」
「ふうん。栄えているところにいたんだもんねぇ」
 そう言いながら、そうっとまた乾パンにソニアは手をのばす。ランスロットは諦めたように「ひとつだけなら」と許可した。それから
「ソニア殿、一緒に行こうか?民衆が何をしているか勉強になるだろうし、わたしが思うに、ソニア殿は祭りを嫌わないと思うのだ」



 ランスロットの後ろをひょこひょことついていくソニアは、いつもと違う様子だった。
 町の人々がうかれているその様が珍しくて、逆に怯えているようにも見える。
「わあ」
 広場には多くの屋台が並んでいた。といっても、小さなポールに布を張っただけの、本当に一晩もつかもたないかわからない簡易式のテントにも満たないような店構え。食欲を刺激する様々な匂いが石作りの広場に充満しており、楽しげな音楽も流れていた。見れば、その場で音楽隊のようなもの――それを生業にしているわけではなさそうだが――が演奏をしている。
「ゼノビアの祭りにはさすがにほど遠いが。それでもさすが貿易都市だけのことはある」
「ゼノビアの祭りって、もっと大きかったのか?」
「私が子供だったからそう思っているのかもしらんがな」
 ランスロットは振り返って小さく笑った。ソニアはにこ、と笑い返して
「はは、ランスロット、笑ったな!」
「な、なんだ」
「ランスロットが笑うのは好きだ。前にも言ったじゃないか」
「……そうか」
 ソニアに悪気がないことはわかっている。が、笑った時にいちいちわれてしまうということは、いかに普段自分はソニアといるときに笑っていないかの裏返しのようで、いささか申し訳なく思える。
「……ちょっとここで待っていなさい」
 居心地の悪さをどうにかしたくて、まるで子供を扱うかのようにランスロットはソニアを噴水を囲む石に座らせた。広場の噴水あたりは人々がごったがえしていて待ち合わせ場所にもなっている。
 ソニアはおとなしく座って人々を見ながら考えていた。
(不思議だな。きっと、この祭りだってデネブを放っておいてもなんら変わりがなく行われていたのだろう)
 少女達が思い思いのおしゃれをして走っている。
(あたし達はきっと、もっともっとひどい地域にこの先いくことになるだろうな……今はこうやって、帝国軍を追い出せばすぐに人々は活気を取り戻すけれど、それは田舎だからだ)
 それは予感ではなく確信だった。
 第一ここいら一帯だってデネブに脅かされていた、とはいえここ最近は畑荒らしばかりで人体実験はされていなかったわけだから、実質デネブの脅威というものは薄まっていたわけで。本当に帝国が圧政をしいている地域であれば祭りなんかも出来るわけがない。
 ここからソニア達はゼノビア方面に向かう。
 多分、ゼノビアの方が昔の王都だけに、圧政に苦しんでいる可能性は高いし、帝国側に行けば行くほど旧ゼノビア国民や他国の人々は圧迫されているに違いない。
「何を難しい顔をしているんだい?ほら」
「えっ」
 そんなことを考えていたらランスロットが戻って来たのにまったく気付かなかった。そんな自分が珍しくて、ソニアは戸惑う。どんな時でも周囲の気配には敏感なはずなのに。見れば、ランスロットは湯気を出している何かを持っていた。
「肉入りの揚げパンだ。外側の葉っぱは食べ終わったら捨てなさい」
「え……あ、ごめん、ランスロット!」
 ソニアはそれを受け取らず、驚いたように立ち上がる。彼女には珍しくかあっと赤くなって、言いにくそうにいささかううつむきがちに、もごもごとくぐもった声を絞り出す。
「あ、あたしは……その……」
「ん?」
「か、金を持っていないんだ……」
「ははは、なんだそんなことか。これくらい」
 真っ赤なまま、ソニアは恐る恐るランスロットを見上げた。
「ごめん。先にいっておけばよかった」
「これくらいは」
「だって、その、ランスロット達だって、あまり給金は多く出ていないはずだ。いくらあたしが馬鹿だって足し算引き算は出来るぞ」
 今日の祭りのためにウォーレンがなけなしの反乱軍の財布から僅かずつ、兵士達に金を配ってやっていた。それすら、祭りをよく知らないソニアは思いつくわけでもなく、ウォーレンが提案したことだったし。
 それだって酒数杯と食事を出来るくらいの金額だ。日々配給されている金を普段から貯めてない兵士なら、ものの1時間で使い切ってしまうに違いない。
「気にすることはない。それに、気になるなら戻ってから気持ち少し分だけいただくよ」
「ち、違うんだ、ランスロット」
「?」
「……その、そもそもあたしは、金そのものがない」
 そういうとソニアはますます真っ赤になってうつむいた。
「……何に使ってしまったんだ?」
「違う。もともともらってないんだ」
「ええっ!?」
 ランスロットは呆然としてソニアを見つめる。
「それは、一体どういう……」
「食べ物があれば、その、金はいらないから……」
「ば、馬鹿なことを言ってるんじゃない!どうなっている?ウォーレンがその辺りは管理をしているはずだろう」
 ああ、またランスロットに怒られてしまった。ソニアはなんだか申し訳ない気分になり、もともと小さい体を更に小さくした。
「その、一応、出陣するときは……各都市で何があるかわからないからウォーレンに金をもらってはいるんだぞ」
「そういうことではない」
 ふうー、とランスロットは溜息をついた。困ったようにソニアはそれを見ている。
 ランスロットが言うように、まだ人材が足りない反乱軍では、物理的な配給に関してはランスロット、資金繰りは給金に関してはウォーレンが取り仕切っている。そこに、ソニアが口を出しているとは思えなかったが、いくらなんでも金をもらっていない、は意味がわからない。
 余談だが、ここにウォーレンがいれば「何度も渡すといっても断られているため、こちらにソニア貯金用という財布があって……」と、ここに至るまで本来ソニアが受け取るべき給金を貯めに貯めた財布を出しただろうが、そのことはウォーレンしか知らないのだ。
「……まあ、その話はあとだ。……食べるといい。暖かいうちに」
「でも」
「でも、じゃない。折角の食べ物を無駄にはしたくないだろう。それに、大人の厚意にはありがたくあずかるものだ」
「……そっか。ランスロットは大人だものな」
 そう言ったソニアは、大人に言いくるめられた子供のように、不承不承という表情だ。
「ありがとう」
 ソニアが受け取ると、ランスロットはようやく隣に座る。彼はそこまで腹が減っていなかったが、きっとソニアの分だけを買えば、彼女は「ランスロットも食べろ」と押し付けてくると思ったので、仕方なく彼も自分の分を買っていた。ソニアがちらちらと見るのに気付き、仕方ないと先に一口食べれば、ようやくソニアも口をつける。
「どうだ?」
「美味しい」
「そうか」
「とっても美味しい」
 きっとそれは社交辞令ではない。食べ始めれば、ソニアは食べることに集中したからだ。
 ランスロットはソニアにばれないようにもう一度小さい溜息をつき、子供のような反乱軍リーダーをみつめるのだった。


 広場から少し外れたところで、様々な綺麗な色の紙が配られていた。
「はいよ、お嬢ちゃん」
 恰幅がよい男がソニアとランスロットにも紙を渡す。近くには木のテーブルがいくつも用意されてあって、そこで何かを書いている人々がいる。ソニアは不思議そうに 紙をぺらぺらと動かして
「これは何に使うんだ?」
「好きな相手の名前を書いて、その木に結ぶのさ。3日後に木を燃やすんだけどな、そのときまでにきちんと木に結ばれていて、綺麗に灰になったら思いがかなうといわれてるのさ」
 近くには何本かの木が並んでいて、既に多くの紙――結ぶために細長く折られた――を結び付けられていた。ふとソニアはランスロットをみた。
「ここいらの地域は、誰でも字がかけるんだな。すごいな?」
「ああ、そうだな……案外ゼノビアに近いからだと思うが。ちなみにソニア殿は……」
「一応、書ける。へたっぴだけど。ランスロットは読み書きがうまそうだ」
「これでも一応王宮入りしていた人間なのでね」
 ソニアは綺麗な浅黄色の紙を透かしてみたりしていたが、しばらくすると丁寧にそれを折り始めた。
「……」
 書くような相手がいないのだな、と思うランスロット。丁寧に折る様子は普段のソニアからは予想も出来なくて、その意外性につい口端が緩んだ。きっとソニアが見ていれば「また笑った!」と言われたことだろう。
「ランスロットは書くといい」
「……そうだな。私の年齢ではそういうことも恥ずかしいものなのだが、まあ、たまにはいいか」
 ソニアは木に結びつけている間にランスロットが書く様子を横目で見る。
 実のところ、ソニアだってランスロットのことは全然知らない。ただ、その様子を見て「ふうん、ランスロットは好きな人だか恋人かなんかがいるんだなあ」と思ったりはした様子だ。
(ん……?なんだろう)
 少し。少しだけ。なにやら胸の奥の痛みを感じ、ソニアは眉をしかめる。
 やがて、書き終わったランスロットもソニアを見習って丁寧に紙を折り、木に結びつけた。
 すると、広場の方から賑やか音楽がまた流れ出した。それを聞いて少年少女たちが慌てて走っていくのが見える。
「きっと、みなで踊っているのだろう。戻ってみようか」
「うん……」
 促すランスロットへ、ソニアは浮かない顔で小さな声で頷くのだった。



 広場近くに戻れば、陽気で心が浮き立つようなメロディーが響く。ランスロットが言ったように、着飾った少女達は音楽に合わせてくるくると踊っている。
 広場までの路地にも店が並んでいたが、食べ物は多くない。装飾具を売っている元気なおばさんが、ソニアに手を振って声をかけた。
「そこのお嬢ちゃん。せっかくのお祭りなんだから、もっと可愛い格好で飾ってくればいいのに。ちょいと、おにいさんが買ってあげたらいいでしょうよ」
 その声が自分に向けられたものだとソニアもランスロットも気付くのが遅かった。
「おにいさん?あれ、もしかしてお父さんかしらねえ?」
 ようやく2人ともその言葉で自分たちのことでは?と足を止める。なかなか苦々しいことだが、その辺り2人とも「ランスロットとソニアの年齢差は兄妹なのか父娘なのかどっちつかず」という共通認識があるに違いない。
「失礼な」
 ランスロットは泣き笑い顔で言った。確かにソニアとの年齢差は大きいけれど、いくらなんだってそこまで言われる年齢ではないはずだ。……と思ってから心の中で自分の年齢を考え直す。
(いや……言われても、仕方ないか……)
「あら、ごめんよ。よーく見たらやっぱりお兄さんかしらねぇ?ほら、こんなの買ってあげたらいいのに。その格好じゃあさびしすぎるでしょ。祭りなのにさ」
 よく見れば見るほど兄のわけがない、とランスロットは言いたくなったが否定する必要もなかったので黙る。と、ソニアは
「いいんだ、おばさん、あたしたち貧乏だから」
と笑ってあっさりと断る。
「ありゃ。そうはっきり言われちゃあ申し訳ないねえ」
「いいんだよ。こんなに綺麗なブローチやショールを売ってもらっても、それをあわせる服がないんだ。ごめんよ。いつか金持ちになったら買わせてもらうね」
「あらあら、いい子だねえ、お嬢ちゃんは」
 あたしたち貧乏だから。
 ランスロットにとって、ソニアのその言葉はとても衝撃的だった。
 今までランスロットとて長きに渡る逃亡生活を送っていたのだから、財政的にも精神的にも幾度となく惨めな思いはしていた。
 けれど、立場上それを口に出すの憚られたし、ゼノビアの騎士としての誇りがそれを許したくない気持ちもある。勿論、人目を誤魔化すために自ら「金がなくて」と言うことはあっても、それは「貧乏だから」ではなく「手持ちがない」という意味合いでしか言うことはない。
 ソニアが言うことは嘘ではない。だが、あんなにもあっさりと「貧乏」という言葉を言えるなんて、どんな暮らしを送っていたのだろうと思う。彼女のそれは、口先だけのものではなく本当に自分自身が貧乏という立場であると、そう認識して口に出したものに聞こえたのだ。
 ああ、だから金がなくても困らないのか。そして、彼女は自分が受け取る立場ではないと思っているのか?様々な思いがランスロットの脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
「ランスロット、行こう」
 ランスロットの驚きに気付かぬソニアは、小さくランスロットに笑いかけた。
「ああ……そうだな」
 なんだかいたたまれなくなってランスロットはソニアの前を歩く。慌ててソニアもそれを追いかける。
「ランスロット。待て。速い」
「……あ、これは悪かった……」
 人並みに飲まれそうなほどソニアの体は小さい。ふりむくとソニアは少し離れてしまって、人ごみを掻き分けて近づいてくるところだ。
 ランスロットは慌ててとまって、ソニアが自分のもとにたどり着くのを待った。
「はーっ。こんなに人がいっぱいいるところ、初めてだからーーー」
 ふう、と息を整えるソニア。
「ごめん、ランスロット。そろそろあたしは帰るよ」
「……しかし、まだほんの30分くらいしか」
「いいんだ。あんまりあたしには向いてないみたいだ」
「向いてない、って……」
 あまり、楽しくなかったのだろうか。自分のせいだろうか。あの綺麗な紙をもらった時は嬉しそうに見ていたけれど、確かに書く名もなかったし、腹はふくれだろうがそれを選んだのも彼女ではなかったし、自分は女の子の気持ちを汲み取れる人間でもないし。それにしても、祭りに対して「向いていない」とは聞いたことがない、とランスロットは思う。
「帰って一眠りして、夜番になってるガストン(ビーストテイマー)と代わってあげようかと思って」
「しかし」
「さっき、ランスロットからもらった食べ物、おいしかった。だから、ガストンも、食べられるといいと思う」
 子供のような物言いをして、ソニアは笑みを見せた。きっと、それだって彼女の素直な気持ちなのだろう。ランスロットはそれ以上深追いせずに頷いた。
「そうか。では、帰ろうか」
「ランスロットは、まだいていいよ。一人で帰れる」
「いや。いい。第一ソニア殿がいなければ、自分もこんなにはいなかっただろうし……それに、人の出が激しくなってきた。私が道をかきわけるほうが楽に帰れるだろう」
「いいのか?」
「ああ。じゃあ、帰ろうか。ああ、はぐれるといけないから」
「あ、うん」
 ランスロットは自分からソニアの手を掴んで歩き出した。ソニアも何の躊躇もなく自分の手を預けて、ちょこちょことランスロットの後ろをついていく。
「ランスロット」
「なんだ」
 人並みをかきわけながら進んでいるランスロットの後ろから、喧騒にかき消されないように大きめの声でソニアは言う。
「今日のランスロットは優しいぞ!」
「……そういうことは、こういうところでいうものじゃあない」
「じゃあ、どこならいいんだ?」
 かといって、あとから面と向かって言われるの恥ずかしいではないか、と気づいてランスロットは苦笑した。
「いや、いい……そうか、優しいか」
「うん」
 そうだな。今日の自分は少し優しいかもしれない。そんなことをランスロットは自分でも思っていた。
 自分が命を預けているこのリーダーが、本当に何一つもたないちっぽけな少女で、あまりにもそれが不憫だと思えていた。
(けれど、同情だといえば、この子はきっと私を許さないだろう)
 あまりランスロットはソニアのことを未だに知らない。けれど、それだけは強く思った。



 ランスロットは今日は優しい。
 ソニアは不思議そうに自分の手をひいてくれる、ずいぶん年上のこの騎士の後姿をみていた。
 いつも自分は怒られる。
 今日だって怒られた。
 でも、今日はそれ以上にランスロットがなんだか優しい。
 それが不思議と不安になる。優しくしてくれて嬉しいのに、何故だか不安で。
(さっき、誰の名前を書いたんだろう)
 自分には、書くべき名前もない。そして、着飾る服もない。
 なんだかあの祭りすべてが自分とそぐわない気がして、それだけでソニアは不安になっていた。
 どうしてかわからないけれど、自分とランスロットが明らかに違う人間なのだということを、たった30分で知らされた気がする。
 ああ、そうか。
 だから、いっぱいあたしは怒られるのだ。
 ランスロットとあたしは全然違う世界の人間で。そして、きっとランスロットの方が普通なのだろう。
(さっき、誰の名前を書いたんだろう)
 もう一度。いや、二度、三度。そんな思いが心の中で何度も何度も繰り返されていることにソニアは自分で気づかず、ただ自分をひっぱってくれているランスロットの手の大きさを感じていた。


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