祭り(2) 



 二人が広場に出かけた時刻は、陽が傾いてそろそろ茜色が空を侵食するだろうと思える頃だった。あちらこちらを歩いている間にみるみるうちに陽は落ち、祭りのメインと言える夜の出店は本格的な賑わいを見せている。
 どこかで大きな火を焚いているのだろうか。広場方向を振り向くと、暗くなった空間にぽっかりと赤い色が広がっている。それは一目で街灯との違いがわかるほどの明るさと、見るだけで熱量を感じさせる。先ほど踊っていた少年少女たちの代わりに、もう少し年齢が上の女性達がその火を囲んで踊りだすのに違いない。
 二人は人波に逆らうように、宿に向かって歩いていた。混雑した場所をようやく抜けた時、ランスロットは彼の大きな手の中でソニアが軽く彼の手を握っていることに気付いた。それまで何も意識していなかったのに、やたらと気恥ずかしい。いささか雑に彼はソニアの手を解放した。己のその所作を「やってしまった」と感じ、取り繕うように声をかける。
「ここまでくれば大丈夫だろう」
 既に祭りの音は遠ざかっており、祭りに行く者も帰る者の姿もまばらだ。
 石造りの広場とは違って、抜けて出たところは人気のない通り。今日彼らが提供してもらった宿は昔別荘だった屋敷だったので、比較的静かなところに建っている。実際そうでなければ彼らのような大所帯、かつ魔獣達を含んだ集団が突然町で寝泊りするというのは無理に近い。
「はー、みんな楽しそうだったな」
 ランスロットが慌てて手を離したのを気にも止めず、ソニアは言った。気を悪くしていないようだ、とランスロットはほっと彼女の顔を見て、間の抜けた声をあげてしまう。
「あ」
「ん?」
「ソニア殿、髪」
 見れば、ソニアの不ぞろいな赤毛はばさばさと解かれていて、人ごみをかきわけたせいかあまり綺麗だとはいえない。むしろぐしゃぐしゃになっているというほうが近い。今までランスロットの手の中にあったソニアの手が、髪をかきあげた。
「ああ、途中で紐が落ちたらしくて」
「……探せばよかったのに。声をかければ止まったものを」
「ううん、いいんだ。そこいらに落ちてた紐だったし」
 ランスロットはまたその言葉に眉をしかめた。
「髪が多くて困る。切るわけにもいかないし」
「なぜ」
「……内緒。願掛けみたいなものだと思っておいてくれ」
 ソニアはそう言いながら髪を束ね、付近をきょろきょろと見渡した。何か運良く紐でも落ちてないか、と仕様がないことを考えているのだろう。だが、そんな小さな幸運は彼女には訪れないようだった。
「よければ、これを」
 ランスロットは自分の剣ーーそれはソニアからうけとったカラドボルグだったのだがーーの鞘を腰に結んでいる紐の上に、飾り程度に重ねられていた生成り色の紐を解いて渡した。
「ありがとう。いいのか」
「ああ、それくらい……それは、もともと私の剣飾りの紐だったのだが、ぼろぼろになってほどけてしまって。なんとなくいつも付けていただけだから」
 剣飾りは複数の紐を合わせて模様に結い上げたもので、剣の持ち手である柄(え)の先につける一種の装飾品だ。似た武器を周囲がもつときに見分けやすいように個々人でつける場合があるが、通常は稀だし、ランスロットがそれをつけていたのはソニアにとって意外なことだった。が、この際そんなことはどうでも良い、とソニアは嬉しそうにランスロットを見上げる。
「助かる。本当にいいのか?」
「いいというのに」
 苦笑するランスロット。ソニアはきつく髪を束ねて、何度もその紐を絡めた。普通に縛るだけでは紐はすぐにほどけてしまう。それを器用に見えないところで髪と紐を絡めながら、まるでただ単に結わえているように見える結び目をつくる姿を、じっとランスロットは不思議そうに見ていた。それは普段のがさつなソニアからは想像出来ない姿で、妙にきちんと「少女」の様子を醸し出していた。
「これでよし。待たせたな。すまない」
「では戻るとするか」
 二人はまた歩き出した。取り立てて話す話題といったら祭りの感想やら反乱軍のことになってしまう。
 けれど、それを話題にするべきことなのかなんとなくランスロットは量りかねていた。屋敷に近くなっていくと両脇に木が並ぶちょっと陰気な道に出る。途中途中でたいまつがおいてあるけれどその間隔が広いものだかrあまり明るくはなかった。
 空を見上げたらもう月が出ていた。ソニアがそれをじっと見上げている様子をランスロットは気付く。
「どうした」
「雨にならないといいと思って。でも、天気は大丈夫そうだな」
「少なくとも今晩と明日あたりは大丈夫だろう。それ以降に降られるのも嫌だが」
 ランスロットも賛同する。ソニアは大真面目は顔で言った。
「いや、あと3日は晴れていてもらわないと」
「3日? 何があるんだったかな……?」
「さっき、枝に紙を結んだだろう。雨が降ってしまっては、うまく燃えなくなる……綺麗に燃えればよいのに」
 思いもよらないことをソニアが言うものだから面食らうランスロット。眉をぴくりと上げて、反射的に言葉が出る。
「そんなことを」
「ランスロットはそうは思わないのか」
「あ、いや……考えてもいなかった」
「ふうん」
 ソニアはとりたててランスロットの回答に対して気があるようなないような声を漏らす。それから
「……きっとガストンはまだ寝ているな」
と、兵士の話を突然口にした。
「うむ。彼は深夜番だから昼から眠っているはずだが。祭りは朝まで続くというから、我々が一眠りしてガストンの代わりに見張りに立てばいいだろう」
「何言ってる。ランスロットはいかなくていい。あたしが勝手に決めたことだし」
「そういうわけには」
「何故だ?」
 改めてそう言われてランスロットは戸惑う。確かにソニアの疑問は至極当然なのだろうが、彼は特に深く考えず「リーダーであるソニア一人に、他の兵士の代わりを務めさせるわけにはいかない」と思っただけだ。
「明日出発するのにソニア殿に負担をかけるわけにはいかないだろうし……」
「ランスロットが一緒に来たからって負担が減るのか?よく言ってることがわからないぞ」
「ああ、うん……」
 ランスロットは珍しく心底困った表情で、ソニアから目をそらした。確かにソニアの言い分は正しい。冷静に指摘されれば、自分でも確かに何を言っているのかわからない節はある。
「ランスロット?」
「……いや、なんだか、勝手に私も一緒にいく気になっていたようだ。すまんな」
「なんで謝るんだ?変なの」
 ソニアは笑って、ランスロットの二の腕を軽くぽんぽんと叩いた。
 その無邪気な様子は愛らしく、余計ランスロットはよくわからない気恥ずかしさで口を引き結ぶんだのだった。


「ディアナ、今から寝るから2時間くらいしたら起こしてくれ」
 宿に戻り、ランスロットと別れたソニアは、祭りから先に帰っていたアマゾネス達に声をかける。装飾品の土産を買ってきたらしく、それをああでもないこうでもないと見比べて楽しそうだ。
「わかりました。二時間後ですね」
「うん。じゃ、頼んだよ……みんな、お祭り楽しかった?」
 それへは、満場一致で明るい声が響く。
「はい!」
「楽しかったです!」
「それはよかった」
「ソニア様はお楽しみになりました?」
「あー、うん。まあね」
 曖昧な返事をして「じゃあ」とそそくさとソニアはその場を離れた。それから、ガストンが与えられた部屋にいくとぶしつけにドアをノックする。
「ガストン、ガストン寝ているのか? 起きてくれ」
 繰り返しノックをしても返事はない。いつもならば、よく寝ていてもこれぐらいのノックで彼が起きてくることを、ソニアは知っている。
 ビーストテイマーのガストンはこの前からギルバルドの参入があったことでかなり意識をしていて、人一倍頑張ろうとしている。彼はまだ20代前半だからギルバルドのような力量は持っていない。だから今夜の深夜番も自分から志願したのであるが最近の疲れが溜まっているのだろう、深く熟睡しているのかもしれない。
「悪い、ガストン、開けるぞ」
 放っておこうか、という気持ちと、いや、でも折角だし、という気持ちの間で悩み、結果的にソニアはドアをあけた。案の定、ガストンはベッドで丸くなって深そうな寝息をたてている。狭い場所の野営や、魔獣達と眠ることも多いから自然と彼らは丸くなって眠る癖がついているのだ。熟睡しているときくらい、もっと体の緊張も緩和出来ればいいのに、とソニアはそれをみてちょっと憐れんだ。
「……眠らせておいてあげた方がいいかもしれないけど……」
 それでも折角の気晴らしなのだから真夜中に起きてから祭りにいくより、これから盛り上がるだろう時間に行ったほうが楽しいのではないか。ソニアにしては珍しい気の利かせ方だが、それは彼女が初めて足を運んだ祭りで高揚し、人々がとにかく楽しそうだということを理解してしまったからだ。そうっとベッドの縁に近寄ると、ガストンの体をゆすって声をかける。



 さて、それからほんの少し後のこと。ソニアと別れたランスロットは室内着に着替え、ようやく一息つく。水を一口、と水差しに手を伸ばした時、ノックの音が響いた。
「誰だ」
「ランスロット殿。ガストンです」
「ああ、ガストンか。どうした、寝てたのではないのか?」
 実際、ランスロットが言うようにガストンはまだ寝ているはずだった。そして、彼が起きる時刻にきっとソニアが「見張りはいいぞ、あたしが代わるから」なんて声をかけると思っていたのだ。話がおかしい、とランスロットがドアをあけると、ガストンは苦々しげな表情だ。
「どうしたんだ」
「あの、その……ソニア殿のことは、ランスロット殿にお願いすればよいとウォーレン様からお聞きしていましたので……」
 嫌な予感がする。
「なんだ、どうした」
「その……確かに私がいけなかったのでしょうが……」
「?」
「その、告げ口のようで、本当はどうかと思うのですが」
「……彼女が何かしでかしたのか」
 自分から来たというのに、ガストンは言葉に詰まり、眉をしかめた。それから、思い切ったように少しばかり早口で
「ソニア殿が、わたしを起こしてくださったのですが、その、祭りに早く行ったほうがきっと、その、楽しいと」
「何……?」
 話が違う。もう起こしてしまったのか、とランスロットの眉が潜められる。だが、それの何にガストンは困っているのだろうか。予定通りの睡眠を取れなかったことだろうか。何かビーストテイマー独自の睡眠法等があって、それを妨げられるのが困るという話なのだろうか。
 ガストンは若いけれど、だからといってソニアに何も物申せないという人物ではない。なのに、何故自分のところに来たのだろう。ランスロットは瞬時に「これはきっと、面倒な話だ」と感じとった。
「だからといって、その、若い女性が男のベッドに……あがりこむのはどうかと……」
「……」
 そのガストンの言葉で、何があったかはランスロットには大体想像がついた。大方ガストンを起こして、深夜番は替わるということを伝えるためにソニアが自ら足を運んだのだろう。そして、あの無邪気な少女は、起きないガストンを起こすために、いささか女性としてはどうかと思われる方法をとってしまったというわけだ。
「確かに、私も……すぐに起きられなかったのが悪いのですが……いや、その、わたしもそういう気を起こすわけではありません、それは誓いますが、その」
 これは、やはり問題だろう。ガストンの判断は正しい。紳士的なガストンだからソニアがそういう行為をしたのか、それとも誰にでもやらかしてしまうのか、それすら彼らにはわからないのだし。
 ランスロットは深い溜息をつき
「ガストン。すまんがそのことはお前の胸の内にしまっておいてくれないか」
と告げ、こめかみを指で押さえた。



 深夜番の時間になってソニアはちょっとだけ眠い目をこすりながら出かけた。ガストンがいつも連れているヘルハウンド達が眠っている、屋敷の裏手に走っていく。ビーストテイマー達は見張りの時に魔獣をつれていくことはあまりないが――人間のように何時に寝て何時に起きろと指示を出来るわけでもないし――今日のように人手が足りない時は、人間よりも敏感なヘルハウンドを連れて行くことがある。
 すると、既にヘルハウンド達の近くにランスロットの姿が。
「あれっ、ランスロット、なんだ。やっぱり来たのか。いいっていったのに」
「話があって」
「何だ?ああ、今日はあたしが一緒にいくよ。よろしく」
 そういってソニアはヘルハウンド達の顔を覗き込んで笑った。利口なこの生き物は心得たとばかりにソニアの側に動く。
「で、話って?」
「道すがら」
「……本当に一緒に行くつもりなのか」
「困るのか」
「別に。休めばいいのに、って思っただけだ」
 ヘルハウンドはソニアを背中に乗せようとそっとソニアの足元に座って擦り寄る。それへ礼をいってソニアはまたがった。ソニアはヘルハウンドに乗るのが好きだ。ランスロットはその横を歩く。
 町外れに見張りに出ている部隊に合流するには、1時間弱かかる。そこへ行くまでの道も気を配るため、ヘルハウンド達を一気に駆けさせることはない。
「で、どうしたんだ?」
 ソニアはランスロットを見たが、彼は明らかにおもしろくなさそうな顔だ。そこまではっきり彼が顔に出すことは稀なので、ソニアは(やばいことをやらかしたようだ)と感づく。
「また、あたしは何かやってしまったのか?」
「……心当たりがあるのか」
「いや、わかんない」
「ガストンが困っていた」
「え。な、なんで」
「ベッドに上がり込んでおこしたそうではないか」
「ああ、ガストンが起きなかったから」
「女性が男が寝ているベッドにあがるものではない。どういうことなのかわかっているのか、そなたは」
 ソニアは驚きで目を見開き、ランスロットをまじまじとみた。それから、やっぱり簡単には何を言われているのかすぐにはわからなかったらしくて間を置き、ようやく答える。
「そうかもしれない。悪かった。早く起こしてあげた方がいいと思ってつい……なるほど……」
「そうか。何が悪いのかそれはわかったのだな……どうせ交代の時間には起きるのだから放っておけばよかったのに」
 ランスロットはソニアが物分かりが良い言葉を返したことでほっとしたようだ。逆に、珍しく物分かりがいいソニアの方はまたまたちょっとしょげていた。
「……みんな、祭りが好きなようだったから……少しでも早い時間にいけたほうがいいのかと思って」
 そう言うと、ソニアは押し黙る。
 それは話が終わって黙る、というよりも言いたいこともあるけれど言葉を切ったようにランスロットには思えた。
 のしのしとヘルハウンドが歩いていく道はここもまたあまり明かりが多くない。二人と二匹は黙ったままその道を通過して、僅かに住宅密集地をかすめて町のはずれに向かう。小高い場所があって、そこで夜番の部隊がいるはずだ。通常、夜番、深夜番、早朝番、と3つの区切りで彼らは見張りを行う。夜番の兵士達は昼間に祭りにいったはずだから、帰れば眠るだけだろう。
 しばらくの沈黙の時間が二人と二匹にあったが、最初に口を開いたのはソニアだった。
「ランスロット、月が明るいのに、こんなに今日は星が出ているのが見える。めずらしい日だ」
「……ああ、そのようだ。さっきまでは星が見えなかったのに」
「少し山に近いところにでたからかな。すごい。月だって明るいのに……あたしの村ではああいう祭りはなかったけれど、数年に一回みんなで星を愛でる日があった。簡素なものだけれど、祝い酒のようなものがあって、それがきっと祭りのようなものだったのだろう」
「星を愛でる?」
「うん。星祭り、というのかな、言葉にすると。村には占い師がいて、いつ次は星がたくさん出る日なのかを占ってくれる。それはなんだかぴたりと当たるんだ。その日は家族みんなで星空をみて、願い事をしていた。多分あれは祭りだったんだろうな。……今日のものとは目的も形もまったく違うし、きっとランスロットがいっていたゼノビアの祭りとも全然違うんだろうけれど。少なくとも子供達はとなり町で毎年やっているお祭りを楽しみにしていたような気がする」
 気がする、というのが少しせつない気持ちにさせる。ランスロットは「家族みんなで星空を」と聞いて、無性にソニアが寂しいのではないかと思ってしまった。もちろんそんなことは口にも出さないし、ランスロット本人もなんの確証もなくそう感じているだけなのだが。
「あたしには、星を愛でる方が性にあっているらしい……せっかくランスロットが連れていってくれたのにね」
「いや、そんなことはどうってことはない」
「そうか。ありがとう。やっぱりランスロットは今日は優しいな。……なんだか嬉しいぞ」
 嬉しい、とまでいわれてはランスロットもそれ以上怒ることが出来なくなった。少し照れくさい気分もする。
「ランスロット、手を貸せ。ちょっと止まってくれ」
 ソニアはヘルハウンドをとめて、道の途中で降りる。ヘルハウンドは休憩の意に捉えたようで、その場で座り込んだ。
「手?」
「うん」
「どうするんだ」
「言っただろう。家族みんなで星空みて、お願いするって。……別にランスロットは家族ではないけれど、今はひとつ屋根の下で寝泊まりしている仲だからな。家族みたいなものだ……手をつなぐんだ。本当はみんなで背中合わせで輪になるんだけど」
 ランスロットは困った顔をした。そこまでソニアの気まぐれに応えて良いものか、と思案しているのだが、当のソニアはそんなことは知ったことではない。いつもどおり子供のように笑って
「願い事は心の中で3回。一番自分が好きだなあと思った星をみながら繰り返すんだ。やってみろ」
 戸惑うランスロットにそれ以上説明せず、ソニアはランスロットの背中に自分の背中をつけた。
(この子は本当に無邪気すぎる)
 先程ガストンの話をしたばかりではないか。そんなに簡単に体を異性につけるものではない。
 そう言いたくもなったが、ランスロットは諦めて口を閉ざした。
「手」
 背をつけて手をつないで。本来はソニアがいう通り家族で輪になるのだろうが二人ではそうもいかない。ぴったりとランスロットの後ろに立つ彼女の背は低く、ランスロットの背に後頭部が触れる感触。身長が違うから、余計に手の繋ぎ方もいびつになるが、ソニアはまったく気にしないようで強く彼の手を握る。
(……旅の成功でも祈っておくか)
 多分ソニアもそうだろう、とランスロットは思い、二人で願えばいくらか星も力になってくれるのではないか。そんなどうしようもないことを思ってしまう。
 夜空を見上げ、自分が一番好きだと思う星はどれだろう、と探してみる。どれも変わりがないように思える星空でもそれを意識してみつめると、それまで考えたこともなかったけれど星に表情があるように思える。そして、見る方向がお互い違うから、決して同じ星を選ぶことはないだろう。
 しばらくしてから、ソニアはそうっと手を放すと回り込み、ランスロットの顔を覗き込んだ。
「願い事、ちゃんと3回心の中で唱えたか?」
「……ああ」
「何お願いした?」
 また小さく笑顔をむけてヘルハウンドにソニアは乗り直す。ランスロットは気恥ずかしそうに
「この旅の成功を。ソニア殿は?」
「うん、ランスロットに怒られないように、もっと色々わかるようになりますようにって」
「……本当にそんなことを願い事に!?」
「そうだ」
 恥かしそうでもなくソニアは言った。
「そうすれば、きっとランスロットはもっと笑ってくれるのかと思う。あたしは、よくわからないことが多すぎてランスロットを怒らせるようだから」
 ランスロットはソニアをみた。彼の表情をみてソニアは肩をすくめる。
「ほら、またあたしはランスロットを困らせているらしい……そんなつもりは毛頭ないんだぞ」
「あ、いや、わかっている。わかっているのだけれど……それは、星に祈るようなことなのか、と思って」
「それをいったらランスロットだってそうだ。旅の成功は、あたし達が努力すればいいことだ。そうだろう。でも、あたしはこれでも努力していて、それでだってどうにもならないんだから」
「努力していたのか、一応」
「一応とは酷いな。ほらみろ、努力してもその甲斐が現れないんだから星にでも願っておかないと埒があかない。ランスロットの笑い顔は大好きなのに」
 そう言ってソニアはふくれっ面を見せる。彼女の言葉に戸惑うランスロット。いつの間にか「好き」から「大好き」に昇格している。その無邪気さがいつもいつも問題なのだが怒ることでもないし、ただただ自分が気恥ずかしい。
「それに……あんまりいつも怒られているから、ランスロットが優しいと、何故だか不安になる」
「わたしが優しいと不安になる!?」
 それにはさすがにランスロットは声を荒げた。無反応だったヘルハウンドが驚いたようにゆるりと首を動かし、それからまた首を戻す。
「それは、ランスロットに失礼なことのような気がする。どうだろう?」
「どうだろう、と言われても……」
 ランスロットは苦笑するだけだ。
 まったく、この少女はどうしてこんなに子供のように自分の心の中の言葉を口に出してしまうのだろう?きっとそれは、これからの先の反乱軍の行程で、良くもあり悪くもあり、問題になることがあるのだろう。だが、それをまたここで言うことは、彼女にとっては酷だろうし、そもそも理解させることは出来ないのだろうと思う。
 今日の祭りで十分わかったが、、この少女はランスロットがこれまでに知り合った人々とはまったく違う生き物のようで、彼が信じている常識や良識といくらかずれている。だが、彼が思う「ずれている」常識や良識が必ずしも間違っているわけではないのかもしれない、ということも、彼は彼女を通して幾度となく思い知らされているからこそ、ああしろこうしろと断言することが出来ない。
 ランスロットが恥かしいと思っていた、「貧乏」であることを口に出してしまう勇気や。
 リーダーという立場でいながら、一銭も金を必要としていない欲のなさや。
 ガストンを早く祭りにいかせてあげたくてついついベッドにあがりこんでしまったまっすぐな気性や。
 祭りを知らない、と断言した、物を知らないことそのものが恥だとは思わない潔さや。
 優しくされたら嬉しくて、それでも不安で。それから、笑顔は大好きだ、と言ってしまう素直さ。
 彼女のそれらの前では、ランスロットが知っていた世界は時折霞み、自由を失っているようにすら思えてしまう。だが、見間違えてはいけない。ただ彼女は「そういう世界」にいただけで、この先も今も「そうではない世界」に身を置かなければいけないのだ。
「ランスロット?どうした?」
「あ、いや」
 きっといつからは、彼女は今の彼女では理解出来ないことも理解せざるを得なくなるだろう。そんな思いを気付かせぬよう、ランスロットは小さく微笑んだ。
「……今日のように星が綺麗な晩があったら……また、願い事をするのも悪くないと思っただけだ」
「そうか。じゃあ、また二人で祭りをしよう」
「それは祭りというものだろうか」
「固いことを言うな。あたしがそう決めた」
 そう言うとソニアは嬉しそうにヘルハウンドの首根っこに抱きついた。
「ああ、そうだな。次はもう少し……努力だけではどうにもならないような願い事を考えるかな」
「うん。ああ、天気になるようにお願いしてもよかったな」
「はは、余程あの木のことが気になるのか」
「……うん。まあね」
 ソニアはそれ以上何もいわずに、ちょっとヘルハウンドの毛に顔をうずめた。
 ランスロットはそんな彼女の仕草は気にも留めずに、今はただ自分とこの少女の差異について、少しでも自分がわかってあげられたらいいのだが、と思いを馳せる。
(どうして、あんなにあの木のこと気になっちゃうのかな)
 ランスロットの言葉でソニアは自問するが、答えは出ない。わからない、と思ったことを深追いしても仕方がない、と「行くぞ」とヘルハウンドに声をかけ、その背に再びまたがった。

 本当に気になっているのが、あの木そのものよりもランスロットが書いた名前だと、彼女もランスロットも気付くことはなかった。




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