勇者は三度世界を救う(13)



 最初は気球の扱いも怖くて、トルネコに全部任せていたんだったな……そんな自分がたった一人でこんなにうまく操れるなんて、なんでもやってみるもんだ。そう。なんでもやってみれば、デスピサロだって倒せたんだし。
 そんなことを思いながらアレクは気球を操り、ブランカ北東の山麓に着陸した。ちょうどよい風の恩恵を受け、目論見通りの場所に緩やかに着陸出来た。これはちょっと気分がいいぞとにんまりとする。
 共に旅した仲間達を送って今は自分一人。それぞれの町でもてなされたり、偉い人々との謁見の場を用意されたりして、本当に丸一日かかって夜を越えてしまった。気を使ってネネが持たせてくれたサンドイッチを朝食に食べたばかりだが、まだ少し腹に余裕がある。とは言え、足は一路彼の故郷へ向かう。誰もいない村には当然何もないとわかっていたが、これ以上どこかへ寄り道する気持ちにはなれなかったのだ。
 村に戻って報告をしなければ。それから、リバーサイドに行こう。そうそう、宿屋のおかみさんが以前作ってくれた、魚を揚げたやつをちょっともらって、夜までマリアを待とう。もし、彼女が今日来なければ、もうこの世界にはいないのだと割り切って諦めるか……。
 心に区切りをつけるために、それらの行為ひとつずつが自分には必要と思えた。「終わり」は今の彼にとってはあまりに曖昧で、実感がいつまでも湧かない。なんだか彼はそれを「得たい」と強く思う。
 気球を降りて山道を行けば、すっかり「そうであること」に慣れてしまった瓦礫だらけの村に辿り着く。あちらこちらにある毒の沼地は、あの日のまま未だどんよりとしている。毒に侵されていない場所は雑草が生い茂り、村を囲む木々も必要以上に伸び放題だ。以前ならばそれを「村を隠せるから」と人々は歓迎しただろうが、今はまるで村の存在を消し去ろうとしているように感じてしまう。
 誰もいない。わかりきっていたことにアレクは眉を寄せた。わかっていたことなのに、未だ心の傷は癒えず、現実を受け入れようとすればするほど胸の奥がつきんつきんと痛む。心と身体が繋がっているという実感が強まると、この痛みを得ることで自分が「生きている」のだと殊更思えて悲しくなる。
 風に揺らされた木々が動きを止め、遠くで鳴く鳥の声も止まれば、そこには静寂が訪れた。村だった頃に一度たりと感じたことがなかった静けさの中、以前はなかったはずの毒の沼地を恨めし気に見て、それから。
 シンシアの形見である羽根帽子が落ちていた、あの日まで花畑だった場所へと一歩踏み出した瞬間だった。
「えっ……」
 突然、辺りが明るくなる。いや、何も日差しは変わっていない。それは「そう」感じただけだ。
 毒の沼地から放たれていた、人の死を匂わせるようなどんよりとした空気が一気に薄くなる。目を凝らして見れば、すべてとはいかずともそこここの沼地が消滅していく。不思議とそれは「消えた」ではなく「浄化された」と感じられた。
(マスタードラゴンか?)
 この力は以前も感じたことがある。天空の剣の力を解放した時。地底で彼らを救うためにマスタードラゴンが近づいた時。なんらかの天の加護がそこにはあり、それはいつだってアレクにとっては忌み嫌う力だった。だからこそ、間違えるはずがない。
「なんだ? 今更毒の沼地を綺麗にしてくれるって……お掃除程度かよ?」
 嬉しくないわけではない。が、沼地が消えたからといって死んだ人々が帰ってくるわけではない。自分だってこの先この場所で生きていくのかどうかも定かではないのに、中途半端に綺麗にされても意味がないと思えた。
(そういや、マリアの村のこと聞けばよかったな。マリアの村も、こことまるっきり一緒だったのかな)
 それは、教えてもらえることだったのかはわからないけれど。あの運命の日のことを思い出したいとは思えず、地下室のことも話はしなかった。マリアもあの日、自分と同じように地下でみなが虐殺される音を聞いていたのだろうか。自分の写し身となり背を向けたシンシアを見送るしかなかったのだろうか。
 毒の沼地が消え、僅かであっても昔の姿に戻っていくのは嬉しい。嬉しくて、そして、なんだかつらい。積み上がった瓦礫、形を少しだけ残した家屋はほぼ廃墟状態のままだ。それ以上は何をしたって戻らないのだとわからされたつらさに、アレクは目を伏せた。
(しかも、毒の沼地だって全部は消えていない……マスタードラゴンが地上に介入出来るのは、本当にわずかなことなんだな)
 そんなことを思いながら、残っている毒の沼地を覗き込んでいる時だった。突然、聞き慣れた懐かしい声が彼の鼓膜を震わせる。
「アレク」
「っ……!?」
 自分を呼ぶその声は。
 忘れるはずがない。忘れるはずはないけれど信じることが出来ず、アレクは呆然と無防備に振り返った。
「は……?」
 そこには、彼がずっとずっと会いたかった、もう二度と会えないと思っていたシンシアが立っていた。少しだけ驚いたように、アレクを見て、自分の体をそっと手で触れて確かめ、またアレクを見て。また吹いた風に揺らされる美しい髪。エルフ特有の尖った耳。愛らしい瞳も、柔らかな唇も、何もかも思い出の中の彼女のまま。それでも己の目を疑うように数回まばたきをして、アレクはようやく間抜けな表情で彼女の名を繰り返す。
「シンシア、なのか?」
「アレク」
「本当に……本当に?」
 思考が止まったり、動いたり、やっぱり止まったり。茫然としたり、いや、本物じゃないかもしれないと思ってみたり、その思いは一瞬で消えてまた茫然として、それから脳のどこかでは「驚かないとかドヤってたくせに」と自分自身を嘲る自分が生まれたり。僅かな時間でぐるぐると想いは巡り、ようやく目の前に立っているその人が幼馴染のシンシアであることを受け入れ、アレクは彼女の細い体を抱きしめた。
「シンシア! どうして……本当にシンシアなんだな!?」
「ええ、そうよ……アレク、また背が伸びたの? それに、それに、なんだか大人びて……どうしたのかしら、わたし、夢を見ていたようなの。わたし、一度死んだのよね?」
 そうだ、と言うことは憚られた。だが、シンシアはアレクからの応えがなくとも冷静にこの状況を判断しようとしている。
「アレク、苦しいわ」
「ごめん。でも、もう少しだけ」
「……そうね。きっと、わたし生き返ったのね。あなたがそんなに大人びるまで……あなたを一人にさせていたのかしら」
 そんな優しい言葉がアレクの胸にしみていく。ああ、そうだ。自分はまだまだ未熟だけれど、あの日よりも強くなって、少しは大人になったのだろう。だって、こんなにシンシアの体が小さいと思ったことはなかったし、それはアレクの身長が伸びたせいだけではない。旅の最中に鍛えられ、気付けば逞しい体つきになっていた。そうなるほどに、時は経ったのだ。
 シンシアの肉体が幻ではなく確かに生きているものだと実感して、アレクはようやく腕を緩めた。ぷう、と小さな声を漏らしながらそこから抜け出したシンシアは、村の様子をぐるりと眺め
「わたしだけ……わたしだけなのね」
「そうだな……そうみたいだ。とりあえず俺が世界を救ったご褒美なのかな」
「まあ! アレクが世界を救ったの?」
「一応ね。世界を救ったご褒美なら、みんな生き返らせてくれるぐらいしてほしいもんだけど、そこまでは出来ないんだろうな……」
 誰がそのご褒美をくれたのかは問わず、シンシアは少しだけ何かを考えるように首を傾げて告げた。
「エルフだから生き返ることが出来たのかもしれない」
「エルフだから……?」
 アレクにはその意味がわからない。エルフが死した後にその魂が妖精の国に戻ることを彼は知らないのだ。シンシアはそれについては知っていたものの、自分が死んだ時のことを考えれば肉体の損傷は大きく、復活できる状態ではなかったと考え腑に落ちない。その辺りが「マスタードラゴンからのご褒美」なのだろうが、シンシアはマスタードラゴンの存在を今はまだ知らない。そのため、二人とも「どういうことかわからないが、とにかくよかった」ぐらいの感想しか抱けない。
「これじゃ、マスタードラゴンに礼を言いに戻らなきゃいけないじゃん……ったく、あの竜め」
 先に言ってくれれば天空城で礼も言えたのに。アレクがそう続けようとした時、がさがさと茂みをかき分ける音が2人の耳に届いた。
 それは、アレクが先ほど登ってきた方向だ。一刻も早く村に戻りたくて木こりの家を通り過ぎてきたが、気付いて登って来たのだろうか?それとも……とシンシアを庇う様に前に出るアレク。
「誰……」
 だ。
 そう続けようとして、声が喉に張り付く。茂みから姿を現したのは、これもまた見慣れた姿だったからだ。
「マリア! お前、まだ、こっちにいたのか!」
「……アレク……ああ、よかった……こっちの世界もシンシアは生き返ったのね……よかったわね……」
 天空の装備に身を包んだマリアは、そこまで言うと地面に膝をついた。彼女が天空の装備を着けている姿を見たことがなかったアレクは(本当に俺と同じなんだ)と改めて驚きつつ、駆け寄ってマリアの前にしゃがみこむ。
「なんだ、お前ひどい怪我を……」
 治癒呪文を唱えようとするアレクを遮るように、マリアは掠れ声で早口でまくしたてた。
「時間がない、聞いて」
「おう」
 膝をぺたりとついたまま、マリアはどうにか顔を起こし、アレクを見上げようとしたようだ。だが、それもままならぬのか、がくりと頭を垂れたまま小声で話しだす。内緒話ではない。きっと、声を出すにも苦しいほどの状態なのだろう。
「世界樹に、花が咲こうとしているの」
「うん?」
「今、蕾がついている」
「世界樹の花の……蕾?」
「エビルプリーストは、その世界樹の花を、誰にも渡さないために魔物を派遣した。それから、ロザリーヒルにあるロザリーの墓を暴いて、死体を……」
「えっ」
「そちらは、間に合わなかった。間に合わなかったの……でも、それらは、もう『デスピサロが死んだ今、意味はないが一応』って……墓を暴く魔物達を恐れて隠れていたイエティが、そう教えてくれて……」
 意味がわからない、とアレクは眉根を寄せる。と、その時だった。
「おい、マリア! お前……」
 アレクの目に映るマリアの身体が薄くなる。輪郭がぼやけ、まるでそのまま空気に溶けそうな様子に、アレクは「別れの時間だ」と悟るしかなかった。
と、アレクの背後にいたシンシアが、躊躇しつつもマリアに対して治癒呪文を唱えた。だが、マリアの身体にその魔法は効力を発揮しない。
 ここにいるはずなのに、既に彼女は「この世界に存在する者」ではないのだ。
「マリア、これ、これを!」
 アレクは慌てて腰の道具袋から、時の砂を取り出した。
「せめて、これ。もう一度、お前の戦いを巻き戻せれば……お前、色々道具持ったままこっちの世界に来たなら、こっちのも持っていけるんじゃねえか?」
 そう言いながら、マリアの手に時の砂を握らせようとするアレク。だが、それは思うようにいかなかった。治癒呪文が彼女を認識出来なかったように、まるで幽霊のようにマリアの手を時の砂はすり抜けて落ちてしまう。
「なんで、なんでだよ、俺はお前に触れるのに……」
「さあね……あなたが、わたしだからじゃない?」
 ぼろぼろの状態で、マリアはうっすらと笑みを浮かべる。
「わたしが出来たのは、世界樹の蕾を守っただけ。結局何の役にも立たなかった……」
「どうすりゃいいんだ。世界樹の花を何かどうにかするのか」
 その時、シンシアがおずおずと話に加わった。
「あの……墓を暴かれたというその人は、もしかしてエルフなのではありませんか」
「は? なんでそんなことわかるんだ、シンシア」
「聞いたことがあるの。世界樹の花は、死んだ後のエルフの魂を、妖精の国から呼び戻すことが出来るって……それを、その魔物達は阻止しようとしたという話ではないのですか」
「あっは……シンシアって、やっぱわたしやアレクより頭いいよねえ……」
「うっせーな!……ってことは」
 エビルプリーストがロザリーが生き返ることを阻止しようとしたということで。
 それはデスピサロが死んだ今は意味がないが念のため……? いや、今はそのことを考えるよりも。
 アレクは地面に落ちた時の砂を拾って強く握る。何か、何か思いつけ。そう念じたが、何一つマリアにしてやれることを彼は思いつかなかった。
「アレク」
「ん」
「わたしの世界には、ロザリーの墓はなかったの」
「!」
「だからね……この世界はまだ希望があったんだと思う。ごめんなさい……ロザリーの墓を最後に守れなかった……力が足りなくて……」
「いいから。いい、そんなこと、だから……もういいから、集中しろ。お前ここから消えたら」
 消えたら、死ぬ直前だった、戦いの場に戻されるんだろう。
 そんな残酷な言葉をアレクは口にすることが出来なかった。ただただ、どうにか彼女が生き延びるために、次の瞬間に少しでもその可能性をあげられるように、もうそれ以外のことは考えないで欲しいと思える。
 アレクは消え行くマリアの肩を抱いた。まだ自分はこうやって触れられるのに、何も出来やしない。
 次の瞬間のために剣を持ち、盾を構えろ……そう言いたかったが、きっともうそこまでの力はマリアにはないのだと気付く。あちらの世界に持ち帰るために、膝をついたまま必死に剣と盾を持っている。だが、それだけだ。
「あ」
 シンシアが駄目でも、自分なら治癒呪文を施せるのではないか。
 アレクは半信半疑で治癒呪文を唱えた。だが、それはまるで跳ね返るように自分の身を癒す光となり、効果がマリアには届かない。
「おいおいおい……世界の判定どうなってんだ」
「あはは……きっと、世界も、混乱してるのね」
 更に輪郭が薄くなったマリアは、泣き笑いのような声をあげる。
「ああ……空気が……」
「何」
「この村の空気じゃなくて、あの、地底の空気になって来た」
 アレクは、ひゅっ、と息を呑んだ。
 それは、マリアの言葉のせいではない。いや、厳密に言えばそれが引き金となったのかもしれないが。
 マリアの肩を抱く腕に力が入る。
 世界は混乱しているのかもしれない。けれども、自分とマリアもまた「同じ者」として世界と世界の狭間にいるようなこの異常な状況で、何かおかしくなっているのだと思えた。
 何故ならば、マリアが言う「あの地底の空気」を今アレクも感じ取ったからだ。
「う、う」
 どくん、どくん、とアレクの心臓の音が大きくなっていく。感じるのは、デスピサロを倒したあの地底の空気。だが、その時よりも更に不快で、より濃く漂う禍々しさ。マリアに触れていることによって、それが自分にも伝わっているようにアレクは感じる。そんな場所で、マリアはたった一人生き残って、次の瞬間屠られるというのだろうか。

(なんだ、これは)

 悪寒を感じて震え上がる、弱い自分。
 本当だ、勝てない。今の自分ではこんな強大な、禍々しい気が流れる場所にいる、凶悪な敵に勝てる気がしない。その魔物を見ることがなくとも感じられる、圧倒的な「暴」の気配に、アレクは冷や汗をかく。まるで、マリアとこうやって触れているせいで、自分がその戦場にいるようだ。気のせいではなく、アレクという人間がそうなっていることも「この世界」とやらがわかっているように思える。戦闘中のみに使えるはずの時の砂の力を、戦っていないはずのこの状態でも「力を発動出来る」と感じられる。
 では、ここで時の砂を自分が使えば。そうしたら、マリアもまた、共に時を巻き戻せるのではないか。
(……一緒に、この世界に来た頃に戻ったら、俺が助けられるんだろうか)
 そんなことにはならない。時の砂はそれひとつでは、そう大した時間の巻き戻しは出来ないのだし。
 世の中、そんなに都合がいいことがあるはずないのだ。
 こちらの世界で何日も過ごした分、マリアが自分の世界に戻った時に「過ごした分の未来の時間に帰り、あの戦場から離れた場所にいられる」なんて、生ぬるい幸運はどこにも落ちていない。なんて世界は無慈悲に満ちているのだろう、とアレクは唇をかみ締めた。
 せめて、自分が共にいけたら。いや、自分が行ったところで何が出来るはずもない。だって、今だってマリアの方がまだ自分よりも強い。マリアと出会った頃の自分よりはいくらか強くなったけれど。
「アレク、わ……あり……シ……まも……」
「マリア!」
 マリアの声が切れ切れにしかアレク達の耳には届かない。きっと、アレクの声も彼女には届かないのだろう。
 ゆらりと輪郭が揺れて、アレクが抱いていた肩の感触すら薄れて行く。
 マリアの道具袋の中で、彼女の時の砂は瓶を残し、すっかりからっぽになったのだ。



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